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今日は小学校の卒業式でした。
卒業式には、紅白まんじゅうを学校でいただきます。
せっかくのおまんじゅうなのですが、
今の子供達の好物ではないようで、あまり喜びません。
すまこばあちゃんや右太郎じいちゃんが生きていた頃は、
子供達はおまんじゅうが大好きな二人に、
まんじゅうを持って行っては喜んでもらっていました。
そんな時、おばあちゃんが聞かせてくれた話です。
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昔、といっても、明治の終わりか大正時代のこと、右太郎じいの叔父の当たる人がのぉ、
ぎっちょ(左利き)だっただよ。
昔はぎっちょって言うのははずかしいことでのぅ、その頃この辺のもんは大草学校(今の大草小学校)がなくて、神戸小学校に通っとっただよ。
給食なんちゅうもんはありゃあせんで、弁当を持って行っただけど、ぎっちょが恥ずかしくて
みんなと一緒に弁当を食べれんかっただげぇな。
そんな変わった人だで、日本に居るが嫌で、アメリカ行きの船に忍び込んで
アメリカに渡っていっただげぇな。
戦争が終って、進駐軍が飛行機に乗って浜松に来ただけど、
その中に、叔父さんの息子がおっただよ。
叔父さんは、アメリカで何の商売をしとっただか知らんけど、成功しとったらしくて、
日本に行ったらまんじゅうを買って、大草の子供達に食べさせてやってくれと、
日本に向かう息子に頼んだらしい。
昔、学校で天長節に配給になったまんじゅうが美味しくて忘れられんそうでね。
戦後の貧しい時代、まんじゅうはたいそうなおご馳走だったでね。
うちはそのとき、大草学校には子供がおらんかったけど、
家から出た人だからと、わざわざまんじゅうを持ってきてくれただよ。
そりゃあ、まんじゅうなんて珍しくて、家中のもんが、大事に食べただよ。
あのまんじゅうのうまかったことは忘れられんよ。
お父さんが中学の頃だから、今から30年も前、
1通のエアメールが届いたそうです。
手紙は、この叔父さんがなくなったと、近所に住む日系人の方からのものでした。
今でも、大事に仏壇の中にしまってあります。
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